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考え中

 (๑´ㅂ`๑)エェテンキジャノー

 

離れて暮らしていると、些細な必要性でその町に住む国民性に出会うことがある。

 

この本に面白さを見つけると、他の本と同じように付箋をするが、部分を明確にせず適当な位置に置いておこうと思った。しばらく後に見てまたどこかに惹かれると思えるのが楽しみなほど魅力的な文章ですごい。

 

続・羊の歌

それがいつかおわらなければならぬということは、人間の条件に過ぎない。音楽ははじまって終る。人間の一生も、社会体制も、歴史そのものも、はじまって終る。そのどこかにもし意味があるとすれば、その意味は現在になければならないだろう。もし私が一人の女を愛したとすれば、そのとき、世界中の何ものも私にとっては二次的な意味しかなかった。

 

自由な人間は、権力に反抗しなければならない。権力は組織であるから、その反抗が効果をもつためには、反抗もまた組織されねばならない。しかし一度組織されれば、反抗の組織そのものが個人の自由を圧しつぶすだろう。

 

 「おまえは共産主義に賛成するか。反対するか」という問いに、もし私が英国人であったら、反対し、中国人であったら、賛成するだろうと答える。また「おまえは社会民主主義に賛成するか、反対するか」という問いに、もし私がスウェーデン人であったら賛成するだろうし、キューバー人であったら反対するだろうと答える。条件つきでない答えをもとめることは無駄であり、意味のある答えは条件つきでしかあり得ないと考える。

 

 海峡一帯の水を越えれば、そこには別の世界があるだろう。と考えていた

周囲の世界から独立して、そもそも「私」というものがあり得るだろうか。その「私」とは一体何ものであろうか。「変わらぬ私自身」を想像することよりも大きな「偽善」があるだろうか。現に日本を発った後に、私のなかでいちばん変わらぬと思っていた部分さえ変ったではないか。

 

 「春立つ今日の風」を味わうためには、「袖ひぢてむすびし水の凍れる」昨日の記憶が新たでなければならない。

 

私はその後度々日本を離れるようになった。しかしまた度々日本へ帰るようになり、日本の内・外の区別は、もはや私にとって決定的な意味をもたなくなった。

 

「不満な点があるのなら、いってくれ」と彼女はいった。そういうことではない。私はながく彼女を愛していると思っていたが、ひとりの女にほんとうに夢中になったときに、彼女と私との間の関係がそれとはちがうものであったということに気がついたのである。

 

 「ぼくはぼくの生涯に決定的な影響を与えたし、またあたえることのできるだろう現象を、知りたいし、見きわめたいと思う。たとえどうにもならないとしても、女房の姦通の相手を知りたいと思うのと同じことだ」

私は物理的にそれが不可能でないかぎり、私自身を決定する条件を知らなければならない。歴史、文化、政治…...それらの言葉に、私にとっての意味をあたえるためには、私自身がそれらの言葉とその背景とにつき合ってみるほかはない。

 

ふ~読み終わた(;´ω`)y─────────────┛~~

すごい言葉の力。物事への観察と結びつけ方にわくわくして読み進めた。この人すげぇ。

 

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