『「戦後再発見」双書① 戦後史の正体』

孫崎享(著)

オビ背面:こういう視点から書かれた本は、いままでありませんでしたし、おそらくこれからもないでしょう。「米国の意向」について論じるころは、日本の言論界ではタブーだからです。

 

吉田茂は従米、日本国民向けでは自主的にふるまうことはGHQから容認されていた。・・・あの映画「小説吉田学校」(1983公開)って、当時の吉田擁護の影響を受けたまま、または従米そのものか。見直すか。 

独自路線の重光が米軍撤退の交渉にのぞむ前、天皇に国政報告をしている、その際、天皇は“在日米軍の撤退はだめだ”と念を押している。吉田首相の米軍基地に関する極端な従米路線には、こうした昭和天皇の意向が影響していた可能性が高い。

 

1979年、進藤栄一(筑波大学助教授(当時))が米国の公文書館から文書を発掘。昭和天皇は戦後、マッカーサーに対して「沖縄を半永久的に軍事占領してほしい」と伝えている。この論文について、当時の学会・新聞・雑誌などは黙殺した。

 

歴史は過去を知るために学ぶのではなく、現在起こっている問題を理解するために学ぶ。

 

ロシア(旧ソ連)との北方領土問題について

第二次大戦末期に米国がソ連に対し、対日戦争に参加してもらう代償としてあたえた領土(国後・択捉)。しかもその米国が冷戦の勃発後、今度は国後、択捉のソ連への引渡しに反対し、わざと「北方領土問題」を解決できないようにしている。(日本とロシアの間に紛争のタネをのこし、友好関係を作らせないため)

 

「総じていえば、60年安保闘争は安保反対の闘争などではなかった。闘争参加者のほとんどが国際政治および国際軍事に無知であり無関心ですらあった」(安保闘争は自主路線をとった岸信介内閣の打倒が米国側の目的)

 

 米国において「今日の普天間問題では海兵隊の論理が国防省の論理になり、国防省の論理がホワイトハウスの論理になっています」

 

常に敵国が必要な米国。

 

国の防衛のための戦闘が許されるならば、それ以下のことは許されるべきだと言葉も無く主張する

 

 

財政投融資制度

巨額な資本が必要なインフラ開発はマーケットメカニズムでは対応しきれない。そのため国民が税金のほかに郵便局をとおして貯金や保険金を政府にあずけ、政府はこの資金国鉄や住宅公団、中小公庫、日本開発銀行、道路公団などに出資する。戦後の日本経済は、経済成長と同時に弱者保護をあわせて追及してきた。

郵政民営化によって[競争を最優先・弱者切捨て・集まった資金んで米国債を買う]ようになった今、この考え方は失われていく。

 

福田康夫首相時代、米国はアフガニスタン戦争への自衛隊ヘリ派遣などを強行に要求、さらにその後、破綻することが確実な金融機関ファニーメイ社への巨額の融資(数兆円規模)を求めてきた。福田首相は辞任することによって、この要求を拒否した。(ウィキリークスが暴露)

福田首相は辞任会見で「国民生活のために新しい布陣で政策実現を期してもらいたい」とのべています。多くの日本人にはこの説明は意味不明でした。みな、急に政権を投げだした福田首相を非難しました。

 

民主党政権鳩山首相

在日米軍基地の見直し」「中国との関係改善」このふたつの問題は、日本にとっては踏んでいけない米国の虎の尾。(加えて米国債の売却もある)

 

 

 

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